先日、父方の祖母が亡くなりました。
このブログでも書いていた、毒祖母です。
(今年のはじめに亡くなったのは、母方の祖母です。
参考記事:機能不全家庭あるある。[葬儀が事後報告])
私は、お通夜と告別式には参加しませんでした。
元々父には行かないと伝えていて、父からも呼ばないようにするよと言われていました。
なので、特に慌てることはありませんでした。
訃報を聞いたときは、何も感じませんでした。
「毒親、毒祖父母が亡くなったら、お葬式は参加しなければいけないの?」
と悩んでいる方の参考になれば。
参加しなかった人、ここにいますよ。
目次
毒祖母についてざっと説明。私は「気持ち悪い」という感覚しか無い。
「散々苦しめられたとしても、葬儀くらい出た方が良いのではないか。」
なんて思う必要はありません。
私は、毒祖母には、とてつもない生理的な嫌悪感しか感じられません。
とにかくとにかく気持ち悪かったです。
毒祖母は孫の私に母親を求めていました。
(毒祖母だけでなく、毒母と弟もそうでした。
「情緒不安定に怒鳴り散らそうが、わがまま放題をしようが、常に喜怒哀楽が爆発していようが、優しくしてくれて当然でしょ!!無限の愛で受け止めてよ!!」
という頭のおかしい人が3人いた状態です。)
「おばあちゃんのすべてを受け入れて!!すべてを愛して!!」
「わがままも、全部許して、全部優しく受け止めて!!情緒不安定に当たり散らそうが、いつも優しくして!!」
「おばあちゃんの言うことを全部聞いて!!おばあちゃんがこうしてほしいって言ったら全部その通りにして!!」
「お母さんじゃなくて、おばあちゃんの方を向いて!!おばあちゃんの方を好きになって!!」
というスタンスでした。
全体重で覆いかぶさってこようとする依存がひどかったです。
私はいつも頭がグラングランしていました。
「おばあちゃんはねえ~小さい頃、クラスでいっちばんかけっこが速かったのよおおお~~」
と甘えた感じで幼い孫に言ってくる老婆、なんておぞましい生物なのだろうと思っていました。
気持ち悪すぎたので、実家ではできるだけ避けていました。
そのため、
「あなたは、おばあちゃんのことが嫌いなんでしょ?」
と泣きはらした顔で言われたこともありました。
家の中にあるものの裁量は自分が持っていると勘違いしているようで、勝手に物を捨てられることもよくありました。
郵便物なんて、満足に届きません。
映画の試写会の当選はがき、区役所から届く国民年金の請求書等、色んなものが私が見る前に捨てられました。
私物が入ったダンボールを物置に置いておいたら、勝手に開けられて、中身を他の家に持っていかれたこともありました。
弟は、幼稚園の潮干狩りの遠足でとってきたあさりを許可なく人にあげられて、泣いていたことがあったそうです。
(毒母から聞きました。)
こういうことはしないでと言えば、
「ここはあたしのうちなんだ!!!(=自分がルール。意見するな!)」
と逆ギレでした。
ちなみに家の出資者に関しては、半分が毒祖母、半分が父でした。
毒祖母が100%なら百歩譲る余地があるけれど、半分なのか、半分でそのスタンスなのか、と思いました。
人種や身体に関する差別言葉もひどかったです。
ニュースを見ながら口にする言葉も、人間性を疑うようなものが度々ありました。
性格だけでなくて、生理的にもものすごく気持ち悪かったです。
小さい頃、私の目にゴミが入ったとき、突然眼球を舐められたことがありました。
あのときの舌の感覚は、思い出すだけで吐きそうになります。
ご飯は、いつもクチャクチャとものすごい音を立てながら食べていました。
毒母の強迫観念から、食事は家族で一緒に食べなければならなかったのですが、毒母が出し続ける膨大な不機嫌オーラ、その静まり返った重すぎる空気の中で響く毒祖母のクチャクチャ音、地獄絵図でした。
今でも、友達と複数人で食事をとるときに、たまにそのときの莫大な嫌悪感を思い出して、一瞬ブワッと私が放つ空気としてあふれ出てしまうことがあります。
友達から、
「えっ?!何?!」
と言われてしまったりして、申し訳なさしかありません。
ちなみに、祖母に、
「クチャクチャ音を立てて食べるのをやめてほしい。」
と言ったことがありましたが、祖母は、
「あたしはねえ!!ずっとここまでこれで生きてきたんだ!!!!!」
と大声で逆ギレしていました。
その話をいとこ(男)にしたとき、
「いや、それくらい許してやってくれねーか?(苦笑)」
と言われたことがありました。
同じ場で毎日食事をしていない部外者だから言える、嫌悪感の我慢を求める無責任なセリフだなと思いました。
小さい頃、熱すぎるお風呂に無理矢理入れられることがしょっちゅうありました。
肩を押さえつけられて、熱湯に押しこまれます。
私が、
「無理!!!熱い!!!」
と湯船から出ようとすると、
「この温度で!!入らなきゃいけないんだよ!!!」
と力いっぱい肩を押してきました。
温度計が43度を指していたのを覚えています。
幼い頃の、全身の薄い敏感な皮膚に染みる熱さと痛さは、今でも思い出すだけでゾッとします。
今振り返ると、立派な身体的虐待でした。
性格も気持ち悪い。
生理的にも気持ち悪い。
さらに、その不快感を強く強く強制させるスタンスも気持ち悪かったです。
毒祖母について、ざっとお話すると、こんな感じです。
これだけ嫌な思いをさせられてもなお葬儀に出席するのは、逆におかしな話だなと思います。
毒祖母が亡くなって嬉しい感覚はあった?
訃報を聞いても、特に嬉しい感覚は起きませんでした。
実家を出て、アダルトチルドレンを克服して、すでに10年以上会わなくなっていたので、
「生きていようが死んでいようが、どうでもいい」
という感覚でした。
あえて言うなら、毒祖母の体調の話や、毒祖母が何歳になったという話を親族から聞かされることが無くなるから、少しストレスが減るな、とだけ思いました。
お葬式の欠席に罪悪感はあった?親族から何か言われた?
お通夜も告別式も行きませんでしたが、罪悪感はまったくありませんでした。
親族からも、何も言われませんでした。
父から訃報、弟からお通夜と告別式の連絡は来ました。
誰が参加したかは知りません。
冠婚葬祭を欠席するのが後ろめたいのは、単に欠席するのが初めてだからかもしれない。
もしあなたが、葬儀を欠席することに後ろめたさを抱えているのだとしたら。
もしかしたら、単純に「慣れていないから」かもしれません。
今回私が葬儀を欠席することに罪悪感が無かったのは、冠婚葬祭を欠席するのが3回目だった、というのが大きいです。
前もって慣れていたおかげで、気にならずにいられました。
参考記事:不安になりやすい人が動じない人になる簡単な方法[情緒不安定解消]
参考記事:やりたいことはあるけど自信が無い?願望を全部叶える人になる簡単な方法。
1回目は、職場の同期の結婚式でした。
ウエディングハイのためなのか、その同期の言動がおかしくなって周囲がうんざりしている中、私だけが逃げた形でした。
このときの欠席は、ものすごくしんどかったです。
「結婚式を欠席するなんて、あってはならないことなんじゃないか。」
「どんなに嫌だろうと、社会人として出席すべきなんじゃないか。」
「いや、でも仕事で散々迷惑かけられているのに、なんでプライベートの時間までもっていかれなきゃならないんだ。絶対出たくない。」
と、頭を抱えつつ欠席をしました。
「あなただけ逃げるなんて。」
と思われたらどうしょうと思いました。
でも、一緒に二次会の手伝いをする予定だった他の同期は、そういうことを言うような人たちではないなと思いました。
後々、実際に他の人たちからも、
「うん欠席して良いと思う。その子この前、こういうことがあってね。(モラルに欠けた言動)」
等々聞いて、後押しをもらった感覚で、安心しました。
2回目は、弟の結婚式でした。
弟は、学生時代に実家で散々暴れて怒鳴り散らしていて、常に、
「うるっせえな!!!」
「んっっだよ!!!」
とばかり言っていました。
毎日のように家族に無許可で友達を泊めて、夜遅くまでうるさかったので注意をすれば、
「おまえの体調不良なんか知るかよ!!人の行動に文句言ってきやがって。他人に迷惑かけんじゃねえよ!!勝手に病んでろよ!!」
と怒鳴りつけてくる始末でした。
にもかかわらず、大人になったら今度はまったく謝りもせず、
「僕の結婚式出てよぉ~ねえってばあ~。」
というスタンスだったので、
「頭おかしいのもいいかげんにしろ。」
と、欠席をしました。
さらにその日はなぜか私の誕生日で、旦那氏とディズニーに行く予定だったので、なんで大切な人との時間をキャンセルしてクズを祝わなければならないんだ、と感じて先約を優先しました。
ただそのときも、ものすごく葛藤がありました。
自分の中では、
「自分のスタンスは間違っていない。」
と心から思ってはいました。
それまで、頭のおかしい親族と距離を置くことはしてきました。
ただ、
「冠婚葬祭で欠席」
というのは、さすがになかなか重かったです。
あと、その代わりに行くのが他の人の冠婚葬祭や、資格試験や、事務的なことではなくて、
「自分が楽しいデート」
というのが、自分中心に見えて見栄えが悪いのではと思ってしまいました。
「人目が怖い」
というのが抜けきっていなかったのもあると思います。
あと、このときは、親族からは、出ろ出ろ繰り返し言われていました。(特に父から。)
旦那氏からは、「俺は何も言わない。任せる!」と言われました。(似たような境遇による一番の理解者。)
今になって考えると、あのとき欠席する決断をして、本当に良かったと思っています。
自分の正しさを捻じ曲げて出席していたら、今頃本当に後悔していました。
当時、少しでも葛藤をした自分はなんてバカだったのだろうと思っています。
散々嫌な思いをさせられてもなお自分が折れる選択肢を少しでも考えたり、招待を拒絶しないなんて、逆に頭がおかしかったです。
どんなに恐怖を感じることでも、3回やれば慣れます。
ということで、3回目で慣れていたおかげで、今回の葬儀欠席は穏やかにいることができました。
葬儀欠席までの、頭の中の変化や、スタンスの変化について、参考になれば幸いです。
まとめ。冠婚葬祭は行きたくなければ行かなくて良い。
「毒親、毒祖父母が亡くなったら、お葬式は参加しなければいけないの?」
と悩んでいる方の参考になれば。
あなたが嫌なら参加する必要はありません。
参加しなかった人、ここにいますよ。