去年2014年10月1日に、北海道南幌町家庭殺人事件と呼ばれる、女子高生が母親と祖母を殺害した事件がありました。
参考記事:【南幌町殺人事件】虐待家族?「積もり積もったものが爆発」長女、殺人ほう助で在宅起訴
虐待やしつけが行き過ぎており、成績優秀な17歳の女子高生が包丁でメッタ刺しにするというものでした。
その後、女子高生の友達が、処遇の配慮を求めて1万人分を超える嘆願書を集めて提出したそうです。
私はその時、正直それを見て思いました。
「毒親なら、殺しても罪が軽くなるの?
それなら私も殺したかった!!(゜ロ゜)」
【補足~初めてこのブログを読む方向け~】 私は、今では毎日前向きに幸せいっぱいに過ごしています。しかし、私の母は、心理的虐待を行う毒親でした。私は、毒母から受けた四六時中続く罵倒などによる心の傷に苦しみ、生きづらさを抱えるアダルトチルドレンになったものの、26歳の時に克服した、という経緯があります。▶詳細はこちら |
目次
毒母を殺したい。できるだけ苦しい方法で。
私は以前は、毒母を殺したいと思ったことがありました。
というより、毒親持ちなら、一度は考えると思うのです。
私は、毒母を硬いモノで何度も何度もガンガン殴りつけるイメージ、頭の中で100回以上はしたこと、あります。
子どもが毒親から受けた数々の心の傷、
その心の傷のせいで生きづらさに苦しめられる毎日、
人生を不幸なものにされた憎しみは計り知れません。
それを「殺される」という形でトラウマ返しされることに、
理不尽さは無いと思うのです。
一瞬で死ぬようなものではなくて、
中世、近代のヨーロッパの拷問の方法でいいくらい。
数日にわたって苦しみながら死んで欲しいなと思いました。
頭のなかで繰り返し想像して、
「こうすれば毒母に今までの憎しみをぜーんぶ、ぶつけられる」
と、ほっとする、ということをしていたことがありました。
毒親を殺しても、気は済まないし、幸せになる未来を閉ざすだけ。
でも毒母を殺した後のことまで冷静に考えると、
毒母がこの世から消えても心の傷は消えないし、
生きづらさも残ったまま。
復讐することで、一時的にはすっきりするかもしれませんが、
その後も、きっと毒母から受けた心の傷を繰り返し思い出して嘆くでしょう。
死んだはずの毒母に悩まされ続けるイメージが湧きました。
もちろん、警察に捕まるし、社会的にも終わったも同然だし、普通の人として生きていくことは不可能です。
最低でも日本にはいられないでしょう。
でも、それが全くなかったとしても、未成年で罪が軽くなったとしても、生産的ではないなと思ったのです。
「毒母を殺したとしても、辛い状況は変わらない」のです。
「毒親を殺す」まで行かなくても「毒親が不幸になる」でも、自分の心は晴れないと思うのです。
毒親が苦しむ姿を見て嬉しくはなるかもしれませんが、
「毒親の不幸さ」と「自分の幸せ」には相関性がありません。
毒親が不幸になっても、自分は幸せにはなりません。
毒親に謝ってもらっても、あなたの気は済まない。
毒親に、今までのことを謝られたら、気持ちは晴れるのでしょうか?
気持ちが晴れる人もいるかもしれませんが、
私は、20年以上受けた苦しみを、「謝ってもらった」という「言葉で一瞬で終わる行為」でチャラにするというのは、正直無理です。
…
毒親を、殺しても、不幸にしても、謝らせても、
あなたの気持ちは晴れません。
それなら、心の傷をささっと浄化して、幸せ思考を身につけて、
幸せな未来を得ることにエネルギーを使いましょう。
▶毒親の母を持つ私が、26歳でアダルトチルドレンを克服した11の方法
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