子どもに対して愛情があるのに虐待してしまう。
そういう親も、沢山いると思います。
そんな毒親たちに言いたいです。
愛があれば何でも許されると思うなよ。
愛情があることと、虐待を許すことは無関係です。許すかどうかは、子ども次第です。
アダルトチルドレンの皆さんは「愛情はあったから」なんて理由で、虐待を許す必要はありません。
目次
私の毒母は愛情はあった。
【補足~初めてこのブログを読む方向け~】 私は、今では毎日前向きに幸せいっぱいに過ごしています。しかし、私の母は、心理的虐待を行う毒親でした。私は、毒母から受けた四六時中続く罵倒などによる心の傷に苦しみ、生きづらさを抱えるアダルトチルドレンになったものの、26歳の時に克服した、という経緯があります。▶詳細はこちら |
児童保護施設のボランティアをしている知人に、
知人「お母さんからの愛情はあったと思いますか?」
と聞かれたことがあります。
愛情があったかと言われると、あったとは思います。
でも「愛情」というより、「完璧な母親の役割を全うしようとしてた」「義務感」の方が正しいかもしれません。
「子どものためを思って」というよりも「自分が思う”ちゃんとした子”に育てるため」だったと思います。しつけなども、全て罵声と冷たい態度で行われたものでした。
▶機能不全家族、毒親、虐待。母親を殺したかった娘の26年間の実体験。
私の毒母は脅迫観念にかられていた。
私の毒母は、母親としての役割を全うしようとしていました。
彼女の頑張る気持ちは、「100点満点」だったと思います。手を抜く姿勢が一切ありませんでした。
ネグレクト(育児放棄)をする親もいるので、その点に関しては偉いとは思います。
しかし、毒母は病的なほどの完璧主義者でした。いつも脅迫観念にかられているようでした。
「誰も文句言わせない!!!そのために絶対にミスはしてはならないの!!」
「お母さんはカンッペキ!!掃除しても隅々まできれいでしょ!!!」
「お母さんはね、料理大っ嫌いなの!!でもちゃんとやるの!!」
確かに愛情はありましたが、病的でした。
毒母は、子どもに自分の過激な考えを一方的に押し付けていました。頑張りすぎたせいで常にストレスが溜っていました。ストレスを、子ども(主に私)に罵声を浴びせて発散していました。
私がいなかったら、毒母はストレスのはけ口を無くして、狂っていたと思います。
私がいたので、毒母はストレスを発散できました。そして、毒母の代わりに私が狂いました。
親の虐待によって子どもが受ける傷の深さは、「愛情があったから」という理由で許せるほど、浅くはありません。
「ちゃんとした家庭を作れなくてごめんね。」
私が大人になってからですが、毒母から、
「ちゃんとした家庭を作れなくてごめんね…」
と何度か言われたことがあります。
ちなみにこの意味は、あくまで、悪いのは祖母と父で、
「私はしっかり母親の役目を果たした。」
「でも祖母と父の妨害がひどすぎた。」
「私は悪くない。」
という意味でした。
もし「お母さんが悪かった」と謝られても、許しはしないと思いました。「悪かった」という気持ちがあっても、許すか許さないかはまた別の話です。
例えば、誰かに暴行を受けて後遺症を負うほどの重傷を負った人だって「うんうん、暴行することもあるよね。許すよ^^」って簡単に言わないでしょう。
まとめ。
愛情があるからといって、虐待が許されるわけではありません。謝ったからといって、子どもの心の傷が無くなるわけじゃありません。
「愛情はあったから」なんて理由で、心の傷を負わされたことを許す必要はありません。許すか許さないかは、子どもが決めることです。
アダルトチルドレンさんには、無理に許そうとして、辛い思いをしないでもらいたいです。
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