「産んでくれてありがとう」という言葉をよく聞きます。
でも、あくまでそれは「一般的な意見」であって、100人いたら100人全員に当てはまるものではありません。
虐待を受けたり、毒親の元で育ったりした人は、無理にその気持ちを持たなくて良いのです。
無理してまで親に感謝するのはやめましょう。「どうして自分はそう思えないんだろう…」と自分を責めるのもやめましょう。
【補足~初めてこのブログを読む方向け~】 私は、今では毎日前向きに幸せいっぱいに過ごしています。しかし、私の母は、心理的虐待を行う毒親でした。私は、毒母から受けた四六時中続く罵倒などによる心の傷に苦しみ、生きづらさを抱えるアダルトチルドレンになったものの、26歳の時に克服した、という経緯があります。▶詳細はこちら |
目次
小学校の残酷な授業。「親への感謝の手紙を書こう」
小学校で「親への感謝の手紙を書く」という授業がありました。
でも、私はその意味が全く理解ができませんでした。
勿論、悪ぶって「ふん、親なんてさ。」って言いたいわけではありませんでした。心から「えっ…?」と、ぽかーんとした気持ちになったのです。
「親への感謝の手紙」は「親からの手紙」への返事として小学校で書かされたものでした。毒母からの愛に溢れた内容を読み、
▶小学校の宿題「”私が生まれた日”についてを両親に聞こう!」は今すぐ無くしてもらいたい。
「ああ…いつもお母さんは私を怒るけど、私はちゃんと愛されてたんだ…」
と泣き、その後、変わらぬ毒母の激しい罵倒に絶望した後のことでした。
「親への感謝…?何に対して感謝…?」
「ご飯作ってくれてアリガトウ…?」
「洗濯してくれてアリガトウ…?」
それ自体は間違いではないかもしれません。
虐待を受けていると気づいていなかった頃の私は、自分が毒母から受けている仕打ちと、それを全部無かったことにして吐き出さなければならない感謝の言葉とのズレに対して、心の底から違和感を感じていました。
私は書いた手紙を、家に帰る途中で捨てました。
無理に感謝しようとして、苦しまなくて良い。
虐待や毒親を経験している場合、親に対する憎しみがあります。人によっては、
「生まれてこなければよかった…」
「死にたい…」
と思う人も少なからずいます。そんな状態の中、
「産んでくれてありがとう」
という概念なんて、正直もっての外だと思うのです。
私はアダルトチルドレンを克服する前は、
「お前が産んだせいで!!!何で産んだんだ!!!」
と思っていました。その後、アダルトチルドレンを克服して今は幸せに生きられるようになりました。しかし、今幸せだからと言って、
「今幸せだから、過去なんて全部チャラだよ!産んでくれてありがとう^^」
なんてなりません。同じ毒親の元にまた産まれたいなんて絶対に思わないし、そう思う日は一生来ないと思います。もしそんな日が来るとしたら、私の精神レベルがマザーテレサになった時ですきっと…!
毒親が産まなければ、もっと優しい家庭に生まれていたかもしれません。
テレビで見るような家族団らんを経験できたかもしれません。(もちろん、貧しい国で家族団らんどころか、食料がままならない場所に産まれる可能性もありますが。)
自分を世間の常識に無理に従わせようとするのは、やめておきましょう。心が憎んでいるのに理性でコントロールして無理に感謝しようとすると、心と頭がちぐはぐになってしまいます。
子どもは親の都合でこの世に産まれる。
人が子どもを産む理由は、ざっくり挙げて、
・自分の人生を豊かにするため。
・避妊ができていなかった。
だと思うのです。(犯罪に巻き込まれたなどは除きます。)
もちろん、出産自体を悪いことだとは思っていません。ただ、「自分の人生を豊かにしたい」という気持ちも「避妊ができていなかった」という状況も、言ってしまえば親側の自己責任です。
「産んだ」という親側の都合に対して、必ずしも「産んでくれてありがとう」と思う義務はないのです。
もちろん、その後もし子どもが普通の家庭に生まれることができ、普通に育てられたら、そういった感謝の気持ちが起きるのは自然なことかもしれません。
しかしあくまで「産んでくれてありがとう」という気持ちが起きるかどうかは、後の産まれた家庭の状況に左右されるものなのです。
まとめ。無理しないで!
「親への感謝」は、当然でも義務ではありません。
無理してまで親に感謝するのはやめましょう。「どうして自分はそう思えないんだろう…」と自分を責めるのもやめましょう。
あくまでそれは、大多数の「普通の家庭」に産まれた方々の意見です。
「一般の意見」は「一般の意見」、うちはうち、と分けましょう。