「親に感謝できない。」
「産んでくれてありがとうなんて思わない。」
と思ってしまって悩んでいる方向けに書いてみました。以前の私も同じように思っていた人の一人です。
▶「産んでくれてありがとう」?毒親に感謝なんてしなくて良いよ。
それどころか、毒親である自分の母親を、
「殺したい!」
「早く死ね!」
「できるだけ苦しんで死ね!」
と心の底から憎んでいました。
しかし、そんな私でも、
「もう憎まなくてもいいかな」
と感じられる日が来たのです。こんな日が来るなんて思っていませんでした…!
【補足~初めてこのブログを読む方向け~】 私は、今では毎日前向きに幸せいっぱいに過ごしています。しかし、私の母は、心理的虐待を行う毒親でした。私は、毒母から受けた四六時中続く罵倒などによる心の傷に苦しみ、生きづらさを抱えるアダルトチルドレンになったものの、26歳の時に克服した、という経緯があります。▶詳細はこちら |
目次
[方法1]虐待によるトラウマを克服しきった。
私の場合は、罵声を浴びせ続けられるという心理的虐待を、20年以上受け続けていました。
その時のつらさ、今まで続く心の苦しみを、全部浄化していきました。
浄化の方法の詳細は、こちらに書いているので是非読んでみてください。
▶毒親の母を持つ私が、26歳でアダルトチルドレンを克服した11の方法/トラウマの浄化、解毒をする。
[方法2]こじれた性格をとことん直した。
毒母から受けた虐待によって、私の性格はかなりこじれていました。うつ病患者と、犯罪者になる一歩手前の狂人を混ぜたような状態です。
常に脅迫観念に駆られていて、自分にも他人にも攻撃的で、人と普通のコミュニケーションがとれませんでした。しかし、その性格のこじれにひとつひとつ向き合い、ほぐしていきました。
この時点で、前よりもある程度、生きることが楽になりました。
▶毒親の母を持つ私が、26歳でアダルトチルドレンを克服した11の方法
▶生きるのが辛い。死にたい。アダルトチルドレンの生きづらい26年間の実体験。
[方法3]自分の人生を生きるようにした。
以前、私の人生は、毒親や、毒親から受けた傷に振り回される人生でした。
そのままでは苦しいままなので、自分の人生を取り戻し、自分で自分の人生を生きるようにしました。
自分を大切にし、本当に好きなことをするようにして、自分の正義を尊重しました。大切な人を大切にし、それ以外の人の評価を、完全にスルーすることにしました。
自分と大切な人を満足させるために、自分の人生を使おう。嫌いな人や攻撃する人のご機嫌をとるために、自分の人生を消費しないようにしよう、と決めました。
すると、自分の絶対的な軸ができ、自分も、他人も、許せるようになりました。
さらになんと、毒親のことも、ある程度ですが許すことができるようになったのです。
▶私は「親を殺したい」気持ちが、無くなった。[毒親が憎いと苦しんでいる人へ]
[方法4]気持ちに余裕ができた。
人を許せるようになったことで、気持ちの余裕ができました。毒親のことも許せるようになりました。
▶私は「親を殺したい」気持ちが、無くなった。[毒親が憎いと苦しんでいる人へ]
さらにさらに、
「毒親が毒親になってしまったのも、祖母からの扱いがひどかったせいだ。毒親は、自分を救うことができなくて、まだ苦しんでる可哀想な人なんだ。」
と思えるようになりました。
以前毒親への恨みをメールで送り、毒親との縁を切ったとき、
「毒親との関係は、これで終わった…」
と感じていました。
でもきっと、「毒親を許すこと」が、毒親との関係の最終ゴールだったのだと思います。
[方法5]毒親への憎しみから興味がそれた。
ブレない自分の軸を持った私は、毒親とは関係なく、毎日幸せに生きられるようになりました。
▶私は「親を殺したい」気持ちが、無くなった。[毒親が憎いと苦しんでいる人へ]
すると、なんと関心が楽しい方に移ってしまったのです。
思う存分人生を楽しめるようになったので、気づいたら毒親のことを考える暇がなくなってしまいました。
そりゃ当然ですよね!楽しいことをしていても、常に胸をチクチク針で刺されていたら、きっと楽しさに集中できません。
でもそうじゃなくなったなら、人の気持ちは楽しい方に自然と流れていきますw
[方法6]毒親の元で産まれたメリットを考えた。
毒親から興味がそれた後、しばらくは、
「そうは言っても、あんな思い二度としたくない!」
「あんな母親のもとに、産まれたいだなんて思わない!」
「産んでくれてありがとうなんて口が裂けても言えない!」
と思っていました。
でも、よく考えたら元アダルトチルドレンであることのメリットが、色々見つかったのです。
子どもに同じ思いをさせない。毒親が反面教師になる。
毒親が、反面教師になります。
「虐待は連鎖する」
と言いますが、心の傷を克服できたのなら、連鎖しないはずです。
私は出産経験が無いので、まだ事実で示せていません。でも「もし子どもを産んだら、絶対につらい思いをさせない。優しく育てる。」と決めています。
「育児疲れで子に当たる親は、今すぐ児童養護施設行くか産む前に堕胎してくれ。」と書きましたが、自分自身もその覚悟で育児をするつもりです。
しかし、もし毒親からの暴言に苦しむことがなかったら、自分も子どもに同じことをしてしまっていたかもしれません。
毒親と同じように、
育児のイライラを子どもにぶつけていたかもしれません。
子どもの苦しみを分からず、好き放題暴言を吐いていたかもしれません。
兄弟を差別して、悲しい思いをさせていたかもしれません。
自分が親になったとき、子どもに同じ思いはさせません。そう思えるのは、元アダルトチルドレンのメリットです。
誰よりも生きる喜びを感じられる。息を吸えるでも幸せ。
今の私は息を吸えるだけでも幸せです。深ーく息を吸って吐いて、
「あ~しあわせ…」
と、満喫しています。心の底から!
完全に無意識だったのですが、ストレスのせいで、今までずっと胸の辺りがぎゅーっと締め付けられていたのです。
そのため、深い呼吸ができなかったのでした。実は医者にも「呼吸が浅い」と何度か言われていたのですが、単なる癖だと思っていました。
心の傷から完全に解放されると、胸のつかえがとれて、呼吸が楽になりました。今までこんな風に息を吸えたこと、一度もありません!
楽に息を吸って吐くことができる。それだけでも、今の私は幸せです。
もし私が温かい家庭に生まれていたら、そのありがたみはきっと分からなかったことでしょう。
他にも、
・人と普通に会話ができる
・誰にも脅かされない生活ができる
・人に優しくしてもらえる
・温かい雰囲気の中で食事ができる
などなど、私が幸せをめいいっぱい噛み締められることは、沢山あります。
重病になった方が、健康のありがたさが分かるように。
耳が聞こえなかった赤ちゃんが、手術後初めてお母さんの声を聞いて喜ぶように。
つらい思いをした分、沢山幸せを感じられています。
努力する習慣が身についている。
私は完璧主義の毒親に育てられたので、自分ができないことに強迫観念を抱いていました。
逆に言うと、常に頑張るので、他の人よりも努力する姿勢が身についているのです。おかげで、賞をとったり、成績が良かったり、良い部分もありました。
ある育児コミックエッセイに、私と逆のタイプの女の子の話が載っていました。
娘「勝手に好きにやればいーや!怒られても気にしな~い♪
↓
好きだけど上手くできなくてつまんない。
やめたい…でも…どうしよう。
(中略)
母「ここで『もっとがんばる!』というところまで、この子の考えはいかない…(スポ根根性持ってない…)」
これを読んだ私は、
「怒られても気にしないだと…?!そんな発想知らなかった…!」
とびっくりしましたが、強迫観念に駆られないという良い面がある一方で、成果が出せないというマイナス面があるのだな、と感じました。
ちなみに、私の努力は細かく言うと、
×「楽しく努力する」
○「強迫観念に駆られて努力する」
でした。そのため、
・苦しむわりには成果が出ない
・同じ成果を出すには、人の何倍も努力と気力が必要
という状態でした。しかし、後々それに気づいてからは、成果を出すために楽しんで努力することができるようになりました。心が解放されましたw
[方法7]わざわざ毒親の元に産まれた意味を考えた。
心の傷を克服しきってから、
「どうして自分は、わざわざ毒親の元に産まれなければならなかったんだろう?」
と考えました。「子どもは親を選んで産まれてくる。」とはよく聞きますが、幸せになりたいなら温かい母親を選ぶはずです。
あえてつらい思いをする場所に、飛び込んだ理由は何だったんだろう?と想像してみました。
他の方から、
「自分がされたことは、全部自分が過去にしたこと。前世で子どもを虐待したから、今世で因果応報を受けてる。あなたの親も、きっと来世で虐待される側になる。」
と言われたこともありました。もちろん、もしかしたらそれもあるかもしれません。
「他の子どもとの、母親決めのじゃんけんに負けたんじゃないかなあ…。」とも、ふと思いました。でも、色々考えた末、
「アダルトチルドレン克服して、その克服法を世に広める。つらい思いをしている人の救いになる。それを通して社会に貢献する。」
という説に至りました。
私はアダルトチルドレンを克服できましたが、克服できたのも何かのご縁です。
私はお医者さんやカウンセラーさんに救ってもらうことはできませんでした。なので、自分で手当たり次第に本やネット記事を読んで、色々繋ぎあわせて、自分で克服法を作る必要がありました。
▶生きるのが辛くても死にたくても自分を助けられるのは自分だけ、という話。
しかし、どんなに頑張っても、克服法に至らない人もきっといます。私も、誰かのふとした一言など、色んなご縁が無ければ、克服できなかったかもしれません。
また、色んな出来事が重ならなければ、「ブログで発信しよう」だなんて思わなかったと思います。
そう考えると、私はジューサーみたいな物で、「虐待」という材料を私に放り込むことで、それに対する対処法や考え方が作り出されて、ジュースになって世の中に出されるイメージなんじゃないかなと、ふと思いました。
もしいじめに関するジュースが必要なら、私にいつか「いじめ」という出来事が降ってきて、解決法に至るまでのご縁も舞い込んでくる。
もし世の中にそのジュースは必要なわけじゃなくて、単に私が苦しむことが学びなら、解決法に至るまでのご縁が得られないまま単に苦しみ続ける。
世の中の誰かに必要なものを輩出するための生産機というか、媒体にされている気がしました。
思い込みや、空想かもしれませんが、私の場合の解釈はこんな感じです。
「毒親の元に産まれた意味を考えること」、考えても考えても結論は出ないかもしれません。答え合わせしてくれる人もいません。でも、一度考えてみるのもアリです。
まとめ。終着点はハッピーエンドじゃなきゃいけない。
今まで度々、
「これで終わった!これで心の傷を克服しきった!」
と思うことがありました。その度に、さらに克服の余地を見つけて、解消していきました。
もう終わったのか、まだ改善の余地があるのかは、私もよく分かりません。
でも誰であろうとも、終着点は絶対にハッピーエンドでないといけないと思っています。誰もが、幸せにならなければいけないと思うのです。
「毒親なんて許さなくていい」という考えのときに、「克服しきった!」と思ったことがあります。でも毒親を許さないかぎり、ずっとイライラは心に溜め込んだままです。
ハッピーエンドではない、つまりまだ終着点ではなかったのです。
毒親に対して、
「産んでくれてありがとう。おかげで、他の人の何十倍も、何百倍も、私の人生は幸せになった。」
と思っている今、やっとハッピーエンドになっている気がします。
もちろん、もう一度同じ親のもとに生まれたいかと言うと、さすがにそうは思えませんけどね…!
虐待を受けても、前向きに思える日はちゃんと来ます。ぜひ同じように苦しんでいる方がいらっしゃったら、この方法をやってみてください!