生きるのが辛い。死にたい。アダルトチルドレンの生きづらい26年間の実体験。

「生きるのが辛い。死にたい。」
「どうして生まれてきたのか分からない。」
「アダルトチルドレンという言葉を見つけたけど、自分かもしれない…」

と思うことはありますか?

今はメンタルケアを重ねて克服しましたが、私は以前そう思っていました。

 

【補足~初めてこのブログを読む方向け~】
私は、今では毎日前向きに幸せいっぱいに過ごしています。しかし、私の母は、心理的虐待を行う毒親でした。私は、毒母から受けた四六時中続く罵倒などによる心の傷に苦しみ、生きづらさを抱えるアダルトチルドレンになったものの、26歳の時に克服した、という経緯があります。▶詳細はこちら

この記事では、私の小学校~社会人の26年間の生きづらさの実体験について書いています。

「自分と同じところがあるかも…」という気付きや、「自分も辛かった…」という共感に使って頂けると幸いです。


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目次

私の毒母。

私の毒母は、「精神的暴力」タイプの毒親でした。
 
強迫観念を感じるほどの完璧主義で、何かミスをすると大声で罵倒し、何日にもわたって冷たい態度をとる、口をきかない、無視をし続ける、という人です。
 
 
そのため、私は心に傷を負い、生きづらさを抱えることになりました。アダルトチルドレンを克服する26歳まで続きます。

機能不全家族、毒親、虐待。毒母を殺したかった娘の26年間の実体験。

小学校は大好き。でも家ではビクビクおどおど。

小学校では勉強も好きだったし、友達とも楽しく遊んで過ごしていました。でも、学校が楽しい分、家に帰るのが大嫌いでした。帰れば、毒母の罵倒と冷たい態度が待っています。

 

また、家族全員で食べる夕食は、罵声と冷たいイヤな雰囲気の居心地が悪いものでした。

 

そのため私は、友達と食べる、楽しくてお美味しい給食が好きでした。毒母に「家のご飯と給食どっちが好き?」と聞かれて、迷わず「給食!!!」と答えたことがあります。

 

私にとっては、「学校が安全地帯」でした。

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自殺願望と悲観主義。

小学生でしたが、自殺願望は既にありました。「学校が楽しい」という気持ちはありました。でも、毒母の攻撃の方が心のダメージが大きく、

「早く死にたい…」
「人生は辛いことばかりなのに、どうして80年も生きるんだろう?」
「やりたいことをし終えたら、早く自殺しちゃおっと。」

と、思っていました。入水自殺か、電車に飛び込む方法にしようと考えていたと思います。でも、その後友達と仲が良くない時期があり、そのせいで自殺したと思われたくなかったので、一旦延期にしました。

【私のAC実体験】アダルトチルドレンが見ている世界は、常に死ととなり合わせ

中学生時代。「いい子」を保つことに必死。

中学でも勉強は好きでした。そのため、いわゆる「毒親に褒められるために頑張る」という状態にはなりませんでした。ただ、何かあるたび毒母に罵声を浴びせられていたので、

「❝いい子❞じゃないと他人には優しくしてもらえない。」
「ミスは命とり。」

という脅迫観念がありました。

 

とにかく「いい子」「良い人」になろうと必死でした。ミスしない、時間はきっちり守る、謙虚で裏表がなくて、根っからの良い人、そんな状態を保つことに必死でした。

私がいけないんだ。私がダメだから、お母さんは怒るんだ。

今なら「自分の母はおかしい」と気づけるのですが、当時の私にはそれが全てであって、疑うことはありませんでした。

間違いをするたび罵声
忘れ物をすれば罵声
姿勢が悪ければ罵声
気に入らなければ罵声
というより、何もしなくても罵声…

それが私にとっては「普通」の状態でした。だから、何かミスをする度に「私がいけないんだ。私がダメだから、お母さんは怒るんだ。」と自己嫌悪が頭の中をぐるぐるしてました。

「もっとちゃんとしよう!」
「もっと頑張ろう!」

と思っていました。先生や友達からは「努力家」「頑張り屋さん」と言われました。私自身も「その状態が理想なんだ!」と誇らしい気持ちになる、という勘違いをしていました。

高校時代。だらしない人が許せない。不真面目な人が許せない。

高校生になりましたが、ますます心の傷は溜まるばかりでした。

毒母の完璧主義に毒されたおかげで、「自分のミスも認められないし、それと同じくらい、他人のミスも許さない」という考え方になっていました。「人はミスをして当たり前」「許す」という考えが微塵もありませんでした。

人に頼れない性格の原因は幼少期のトラウマかも?解消法5つ。

 

ミスした人を見つけると激しい怒りを感じてたし、口に出して「何で時間も守れないの!」「だらしない!」というように、周囲の人を厳しく怒ることもありました。

「人のミスを指摘する、しっかり者の自分」と、誇らしい気持ちになっていました。まるで、独裁国家のように、正義をかかげて人を排除するような状態になっていました。

人は間違えることが当たり前。自分も他人も許す思考。

自分に自信が持てない。常に間違っているのは自分、と思う。

常に毒母から罵倒され、否定的な言葉ばかり言われていたため、「自己肯定感」が全く無い状態で高校生になりました。

 

そのため、単にコンビニで何かを買う時でさえ

「私はこれを選ぼうとしたけど、他の子は違うものを選んでる。私の好みは間違ってるんだ。」
「私はこの雑誌は好きじゃないけど、他の子はみんなは好きみたい。私の趣味が間違ってるんだ、直さなきゃ。」

と思ったりしていました。

 

ありとあらゆるもの全て、「周りの人と違うなら、間違ってるのは私。」と思っていました。特に疑問を抱くことなく「頑張って皆と同じになろう。ちゃんとした人になろう。」と思っていました。

外見に自信が持てない。

過去の記事で書きましたが、毒母からは毎日何度も「ブス!!」と罵倒されていました。

機能不全家族、毒親、虐待。毒母を殺したかった娘の26年間の実体験。

 

そのため、「私は可愛くないんだ」「何で私はブスに生まれてきたんだろう」と辛い気持ちでした。

そのため、人と話す時も「ブスな私と一緒にいて、この人テンション下がってるんだろうな。」と、後ろめたい気持ちいっぱいで話していました。男子にフレンドリーに話しかけられても、「この人は私のことをからかってるんだ」と思って、つっぱねていました。

 

いつもメイクをしながら「可愛い子は鏡見るの、毎日楽しいんだろうな。」と、嫌悪感を感じていました。

多感な女子高生なので、「生きてる意味を感じなくなる」には十分でした。

自分・他人の価値をスキルではかってしまう。

自分や他人の価値を、人となりではなく、スキルではかってしまうようになっていました。

 

私は四六時中、母親に否定されていたために、自尊心が全くありませんでした。

そのため、

「ありのままの自分でいるだけで素晴らしい」
「生きているだけで価値がある」
「自分らしく生きる」

という概念を全く持っていませんでした。ちゃんとできないならいい子じゃない、みたいな。

すると、そのままの自分は価値が無いので、「◯◯ができる」など、後づけの価値を得なければならなくなります。

 

例えば、

  • 成績が良い
  • 運動神経が良い
  • 賞状、メダルを貰う
  • 告白される人数が年に◯人以上
  • 英検◯級、TOEIC◯点

などなど。

「それらをどれだけ持っているか」を自分の価値にしていました。

なので、テストで良い点数が取れなかったり、成績が下がると、自分の価値が下がった気持ちになり、足元が抜け落ちるような絶望を感じていました。

 

また、自分だけでなく、他人に対してもそれが判断基準になっていました。

「◯◯ちゃんは、成績が良いからOK。」
「◯◯君は、スポーツ万能だからOK。」
「◯◯さんは、どうして英検◯級も持ってないの?NG。」
「◯◯ちゃんは、私よりも成績が良いから、私より価値がある人。◯◯君は私よりも下だから、私の方が価値がある。」

という感じです。なんて失礼!

 

なんというか「それがあれば”クリア”」みたいな感覚を持っていて、

「それがあれば価値があるって思って貰える。」
「それがあればここにいてよくいられる。」
「そのために、どうにかして掴み取らなきゃ。」
「誰よりも上にいなきゃ。」

という気持ちでした。

人を信用できない。全員敵だと思ってしまう。

他人は「全員、自分を傷つける敵」だと思っていました。

 

誰に対しても、普通に接してくれる人にも、

「こいつ関わる価値無いな…」って思ったら冷たくするんでしょ?!

必要が無くなったら嫌な態度とるんでしょ?!

他に都合が良い友達ができたら、そっちに夢中になって私を蔑むんでしょ?!

と、いう姿勢でした。

 

常に全身の毛を逆立てた猫状態です。母親にされていることが誰でもやる普通の接し方だと思っていたので、誰からもそうされると思っていました。

心がボロボロなので、少し傷つけられたら心に致命傷を負ってしまいます。そのため、いつもビクビク、ヒヤヒヤしていました。

人によく裏切られる。優しさに飢えているせいで、少し優しくされると信用してしまう。

基本的には、人は信用していませんでした。でも、少しでも優しくされると、「なんて良い人!」と、しょっちゅう勘違いしていました。

「優しくされること」に飢えていたせいだと思います。

 

  • 笑顔で話しかけてくれた
  • 大丈夫?と声をかけてくれた
  • 私がミスしても許してくれた

というだけで、「わあ~~~なんて良い人なんだ!」と思い込んでいました。表面的な優しさを見せられただけでも信用してしまっていました。バカですね…!

 

そのため、よく裏切られていました。裏切る人は特定の人でしたし、私以外の人はその人が信用ならない人だと見抜いていました。

しかし私はそれを見抜けずに信用してしまって、後から「こんな人だったんだ…」とびっくりする、ということがよくありました。

常に緊張している。変に頑張って、ズレた人になってしまう。

「とにかく間違いをしたくない。」
「ちゃんとした人でいなきゃ!」

という気持ちだったので、常に気が張っている状態でした。

 

そのため、友達ともいても、

  • 会話はとぎれさせちゃいけない
  • 噛んじゃいけない(「間違い」に当たるから)
  • 笑顔でなくちゃいけない

と、いつも「私!頑張んなきゃ!!」と変に力が入っている状態でした。

 

ただ「頑張ろう」と思うのだったら、単なる向上心になるかもしれません。でも、私の場合は強迫観念が背景にありました。そのため、変に空回りするし、そのせいで「うまく振る舞えない…」と感じて自分も苦しくなるし、つらい悪循環でした。

「間違えたら嫌われる!」と常にビクビク。

大学生になっても、毒母に罵倒され、自尊心がない状態は変わりません。
 
「私は間違ってるんだ」という思い込みがあるため、趣味、好きな音楽、その他何でも、自分の意見が主張ができませんでした。
 
 
何か主張をした際、他の人が別の意見を言うのがものすごく怖くなってしまっていました。
 
たとえ紅茶とコーヒーどっちが好き?程度のものでも、常に恐怖を感じていました。「話を聞き間違えた」「言葉を噛んだ」などの本当に小さなミスをしても、絶望感でいっぱいになっていました。
 

合わない人と無理やり一緒にいてしまう。

大学3、4年では友達に恵まれたのですが、1,2年では、あまり気が合う友達が近くにいませんでした。単にめぐり合わせだったと思います。
 
しかし「友達と仲良くできないのは、合わせられない私が悪いんだ」「ちゃんと合わせなきゃ」と思い込んでいました。
 
 
そのため、気が合わない子たちとも、無理やり一緒にいてしまっていました。
 
 
合わない人と一緒にいると、自分も自然に振る舞えないし、お互い楽しくないし、ズレばかりが起きます。
 
でも、自分が居心地悪いと思っても、「そこから別のところに移る」ことを考えもしませんでした。毒親に罵倒され続けたせいで、嫌な気持ちがずっと続くことに、慣れてしまっていたのです。
 
 
他にも、大学外の友達に、性格のキツイ女の子と、ワガママな女の子がいました。最初は合っていましたが、その後嫌な気持ちにばかりなっていたのに、その子たちとも長期間一緒にいつづけてしまっていました。
 
「ちゃんとした人間関係作れるようにならなきゃ」と必死でした。
 

自分は「ここにいてはいけないんだ」という思い込み。

常に否定的な言葉ばかりかけられているせいで、いつでもどこでも「私には価値がない」「ここにいてはいけない」と思うようになっていました。

「私は価値がないし、間違いだらけだし、一緒にいても害になるだけ」
「周りの人も心の中ではそう思ってるけど、私に合わせてくれてるんだ」
と思っていました。

 

何人かの友達と話してる時でも「この輪にいちゃいけない」
レストランに入っても「ここにいちゃいけない」

と感じていて、常に周りの人全員に責められている感覚でした。

 

健常者から見たら「単なる被害妄想でしょ」と思うと思います。でも、無条件でそう思う思考回路が出来上がってしまっているので、本人としては全く疑問は1ミリも感じてないわけです。

誰もいない自分の部屋が一番落ち着ける場所でした。

恋愛がつらい。

自尊心が無さすぎるので、恋愛でもまったく自己主張ができません。リラックスもできません。

 

どこまで可愛くなれば認めてもらえるの?

どこまで可愛くなったらずっと愛してくれるの?

外見とか、しぐさとか、メイクとか、女子力とか頑張ればいいの?

会話の楽しさとか?

手料理の美味しさとか?

だめなとこがあるなら、どれだけ直したら愛してもらえるの?

 

という気持ちがいつもぐるぐるしていました。なので、彼氏ができても、気持ちが休まりません。

好意をもってもらえても、常にリラックスできず、恐怖感にかられていました。

とにかく人と関わることが怖い。

このような状況だったため、
 
普通に友達と話す時も
普段あまり話さないクラスメイトが話しかけてきた時も
教室で自分のとなりの席に他の大学生が座った時も
コンビニで何かを買う時も
服を買う時の店員さんも
 
誰と関わる時でも怖くて、人と接する時は常に心が削られている感覚でした。
 

社会人になっても、人と関わることがつらい。

社会人になっても、基本的な部分は変わらぬまま、

「自信がない」
「間違えることが怖い」
「自分はここにいてはいけないんじゃないか」
「人と関わることが怖い」

というスタンスでした。

 

でも、何を血迷ったか、最終的に営業職を選びました。人と関わることが苦手でしたが、これから生きていくうえでコミュニケーション能力は不可欠だと思ったのです。そこで、荒療治にはなりますが、なんとか克服しようと思ったのです。

会社では、周りの同期、上司、先輩、後輩にとっても恵まれたので、人間関係であまり問題は起こりませんでした。

ただ、自分の中でマイナスの気持ちがぐるぐるしている状態でした。

まとめ。

ざっとこんな感じです。

「自分と同じところがあるかも…」という気付きや、「自分も辛かった…」という共感に使って頂けると幸いです。

また、アダルトチルドレンの方には、併せて下の記事も読んで頂きたいです。そして、アダルトチルドレンを克服して、苦しい毎日から少しでも解放されて頂きたいです。

関連記事:毒親の母を持つ私が、26歳でアダルトチルドレンを克服した11の方法

 

▼毒親・アダルトチルドレン関連書籍はこちらにまとめてあります。是非読んでみてください!